溶接・接合・熱切断の泉
第1回 ガス切断との出会い

1.はじめに

 亀戸駅から東京都第一溶接協会(現在の名称:東京都溶接協会)へ向かう歩道を歩きながら,52年前の自分を思い出した。平成22年3月13日の早朝であった。当日は,東京都第一溶接協会が主催した第50回溶接技術競技会の開会式に出席させて頂くためであった。走馬灯のように思い出した事柄は,昭和43年申年(1968年)の猛暑の夏に,当時の東京都江東区南砂町にあった汽車製造㈱で,ガス切断の実務について,現場の師匠から訓練を受けている自分がいた。胸のポケットには,千葉県労働基準局指定講習会で交付された「ガス溶接技能講習修了証」(指定第269号の第391号)が汗ばんでいた。

 日本大学の学生であった小生が,日本国有鉄道の鉄道技術研究所から日本大学生産工学部教授に赴任された安藤精一博士(元溶接学会長)のご教導により,溶接界に入門させていただいたのは,1968年の申年にさかのぼる。その後,学恩と学風をいただいて今日に至っている。特に,大久保研究室として気持ちを新たにしたのは,1984年9月13日に中国杭州西湖の近くの国際会議場で,安藤教授と旧知の間柄の中国清華大学の潘教授とハルピン工科大学の田教授から,溶接研究室の運営について貴重な示唆を頂いたことが起点である。この考えは,卒業生の諸氏を望子成龍(息子や娘の真っ当な生き方や弥栄を祈り,思い入れる)と考え,溶接研究室が継続している。すなわち,小生の肝の中に,和魂洋才と和魂漢才が融合した時期であった。

 前述の汽車製造㈱会社での実習では,有益なガス切断技術の勘所を習得した。特に,知識のみでなく,経験や技術の先読みを体得したと考えている。図1は,その時のメモの一つである。安藤教授からの教えの根本に,大学人としては,大学の教育・研究・社会貢献に精進し,人としての佇まいをつねに正すことが肝要であるとの教えがある。溶断との出会はその出発点であった。

   図1 汽車製造㈱会社でのガス切断の実習メモ

 この連載企画は,小生が経験した溶接・接合・熱溶断を中心として,直接お会いした先達や関係各位から受けた口頭伝承と大久保研究室での実験を基にしている。東海道道五十三次にたとえれば,江戸から各宿場町での現場経験をこのJitsu・Ten(実務&展望)に寄稿させて頂く予定である。さて,ここまでお読み頂いた諸兄にお礼を申し上げます。溶接界でのささやかな経験工学を連続してご披見いただければ幸いです。


2.溶接界での恩人と貴重図書

  前述の小生の恩師でもある安藤精一先生は,私があまり納得しない課題は,関係の先生を紹介してくださり,大きな視野を持つ資質を養うように諭された。小職の研究室の本棚に,溶接叢書第7巻の「新版・ガス切断およびガス加工」(昭和43年新版,産報)がある。著者は,大阪大学の大西巌先生と京都大学の水野政夫先生である。水野先生は軽金属溶接構造協会の理事を務められた。小生は水野先生のご高配のおかげで,1988年に軽金属溶接構造協会溶接施工法委員に推挙して頂きその後委員長として貴重な経験をした。水野先生は,2003年6月24日に鬼籍に旅立たれたが,その教えは,恒久のものである。

 水野先生によれば,ガス切断の原理は,1776年に,鉄が連続的に燃焼することを見出したことから始まったとされている。そして,1901年には初期のガス切断器が実用化されている。ガス溶接及びガス切断は明治の末期から大正時代の初期にかけ,我が国に伝わり現在に至っている。図2は,ガス切断の変遷を示したものである。今日,ガスを基盤技術とした企業が着実な進化を遂げている。それら企業には,小生の研究室の卒業生も在職しており,小池酸素工業㈱テクノセンター土気工場の高田宏則氏や日酸TANAKA㈱執行役員の茂木徹氏らは,OBとして大久保研究室に協力をして頂いている。教員として,卒業生の活躍と真剣に努力している姿に接することは,至福の至りである。さらに,前述の望子成龍の思いとも絡み,卒業生と教員は車の両輪であることを実感している。特に,高田氏は前述の「ガス溶接技能講習」の講習会を,日本大学の学生サークル(溶接研究会)と連携して日本大学キャンパス内で企画開催したキーマンであり,資格取得の重要性を気付かせてくれた貴重な後輩でもある。

図2 ガス切断の変遷

 

3.ガス切断に関する基礎

 金属材料の切断は,もの造りの過程において,一般的に必須の工程であり,その後の溶接工程や組み立て工程及び塗装工程などに大きな影響を及ぼす。さらに材質的には,熱による材質劣化等を少なくする必要がある。日本工業規格の用語において,熱切断とは熱を用い,材料を局部的に溶融または燃焼して切断する方法の総称である。さらにガス切断とは,ガス炎で加熱し,金属と酸素の急激な化学反応を利用して行う切断である。そして使用されるガスにより酸素・アセチレン切断,酸素・水素切断,酸素・プロパン切断,酸素・天然ガス切断などの総称である。

 ガス溶接及びガス切断に関する図書のいくつかとしては,日本溶接協会監修「新版ガス溶接技能者教本,産報出版」と厚生労働省安全衛生部安全課編「ガス溶接・溶断作業の安全,中央労働災害防止協会」がある。これらには,可燃性ガス及び酸素の知識,設備の構造及びその取扱い,作業の危険性,災害事例,関係法規などが網羅されている。東京都溶接協会では,定期的に「ガス溶接作業主任者免許試験受験準備講習会」を開催している。

 熱切断に関しては,(元)マサチューセッツ工科大学(米国)の松山欽一先生から受けた深淵な研究心には敬服する次第であり,多くの示唆をいただくことができた。日本大学の図書委員会の委員の立場より,学生がよく借りる図書を調べたことがある。そのトップの書籍は,水野政夫,林武彦,中野悦男「ガス溶接入門」(産報出版)であった。その書籍の内容は,溶接法一般,酸素及びアセチレン,安全器・圧力調整,吹管及び導管,ガス溶接の施工,溶接部の試験,安全衛生である。中野悦男氏と私は,東京大学の航空工学科流体研究室の権威であった岡崎卓郎先生(その後,日本大学教授)との共通のご縁があり,小生にとっては大きな師匠でもある。おそらく,中野悦男氏から講習を受けた人,並びに今後受ける人は膨大な数にのぼると推察される。

 図3は,小生が体験した過程において,ガス切断の基礎と技術的ポイントを要約したものである。すなわち,ガス切断の工学分野は成熟したものとして扱われているが,開発すべき課題は多く残されていると考える。特に,小池酸素工業㈱の森繁雄氏を始めとする,産業界の皆様から受けた技術開発のご示唆は,大学の教育に大きな糧となり,役立っている。

図3 ガス切断の基礎と技術的ポイント

4.ガス切断に関する基礎研究の紹介

 大学の研究は,産学官が連携して,前途ある学生の教育支援をすることが望ましいと考えている。このシステムは頭では理解できるが実際には多くの支援を必要とする。小職は,大学での教育と研究に行き詰っていた1995年に,英国のThe University of Liverpoolに客員Fellowとして滞在した。戦後50年目の節目の年であった。小生を招請してくださったWilliam M. Steen教授は,レーザに関する世界の第一人者である。滞在中は研究と教育について,大きなご示唆を頂き,英国の誇りある人格と研究力や教育力を体得する機会を得た。そのシステムの根本は,千里の道も一歩の門より出発する諺のごとく,ただひたすら真剣に生きることしかないことに行きついた次第である。そして今日,学生の努力に敬服することが幸せと感じる毎日である。

 今回は,産業界の企業の支援をいただき,学生が卒業研究を遂行した一端の内容を紹介させていただく。

<卒業研究題目>
 ガス切断におけるノズル高さと火口の研究

<背景と目的>
 各種の熱切断技術は,多くの現場ノウハウを吸収して進化を遂げている。一般的に,軟鋼を対象とした対象板厚は,ガス切断:3~150㎜,プラズマ切断:2~60㎜,レーザ切断:1~40㎜程度であるとされている。これらの適用板厚は,各種の技術開発で変化するものと考える。なお,ガス切断は,1mを超える厚物切断火口も開発されている。

 ガス切断は,ガス炎で対象とする金属材料を加熱し,金属と酸素の急激な化学反応を応用して切断プロセスを連続させている。本研究で対象とした母材は,溶接構造用圧延鋼材(SM490)とした。板厚は12㎜である。ここでは,ガス切断の過程において,ノズル高さ(火口と切断される母材との距離)が離れても上ノロが出ないような火口と諸条件を求めることを目的とした。

<上ノロとは>
 熱切断によって切断除去された金属及びその酸化物であり正確には,スラグと定義されている。しかし,従来から現場ではノロと呼ばれておりここではノロと呼ぶとすることにする。図4の上ノロの外観写真の一例を示す。このように,上ノロとはガス切断を行ったときに切断材の表面に発生する粒状の鉄とその酸化物であり,これが発生すると,製品としての価値が下がるため処理をして取り除かなければならない。

図4 上ノロの外観写真の一例

<火口の概要>
 今回は,酸素・プロパン切断火口を対象とした。火口からは火炎を形成することになる。この形状や寸法を変化させたものを使用した。対象火口の種類は9種類とした。

<実験結果の概要>
 一般的に,ノズル高さの増大に伴い,上ノロの発生量(質量を測定)が増加する傾向にある。そしてノロ発生量の少ないノズルがあることを明らかにした。

<切断機構に対する検討>
 切断中において,赤外線温度測定装置による,画像処理により,その挙動を究明した。一般的に,火口高さが高い場合は,切断領域の温度分布は高い領域まで拡大している。図5は,赤外線温度による切断状況の温度分布の一例である。

図5 ガス切断中の温度分布

<成果>
 実験範囲内において,火口高さが31mmまでなら上ノロを発生させずに切断することが出来た。

 今後は,切断幅の低減や,高度な自動化に向けての検討課題が残されている。

<工学で伝承について>
 学生と研究を遂行する場合,汗と五感を意識することが必要と考えた。最初に,口頭伝承と実験を中心にしたいと文を進めてきたが,当然これのみで,学生の教育は達成しない。図6は,工学伝承について古来より,日本で受け継がれてきた伝統について「守・破・離」(しゅはり)を自分流にまとめてみたものである。すなわち,自らがやって見せ,学生にまねてもらい,学生の独創性を引き出すことが必要であると痛感した次第である。

図6 工学伝承のまとめ

5.あとがき

 本稿の連載執筆の依頼をいただいたのは,江東区大島にある東京都溶接協会が起点となっている。同協会の主催する第50回溶接技術競技会の審査委員長である今井保穂先生からは,アルミニウム溶接技術検定委員会を始め多くのご教導を頂いている。今井先生のお名前は,恩師である安藤先生より,防衛庁技術研究本部の今井先生としてかなり前よりお聞きしており,今井先生の下で,溶接に携われる仕事ができることは望外の幸せである。今井先生の研究論文「溶接欠陥を有するアルミニウム合金継手の引張疲労試験,溶接技術,1960年10月号」は,小職のアルミニウムの溶接に関する研究生活の原点である。そして,今井先生より,東京都溶接協会の横田会長,三浦専務理事,石上事務局長,椎名氏,篠崎氏,藤原氏,坂本氏,天野氏,腰塚さん,長谷川さん,三條さんを始め関係の皆様とのご縁を頂いたことは,前述の汽車製造㈱での感覚と通じるものがあり,ありがたく感じている。

 さて,江東区大島の地に立つと,忘れることができない先達がいる。そのお名前は吉野弥太郎氏である。吉野氏は,各種プラスチック容器の製造と販売について不動の位置を占めている。図7は,小生が大切にしている資料であり,「初心忘るべからず」という,含蓄の言葉である。これは,古来より伝えられてきたものであるが,実践は難しいものがある。小生もいろいろな節目に,この言葉より大きな展望を与えて頂いたと考えている。さらに,吉野氏の先見性と現場主義には,深く敬服する次第であります。  

 「初心忘るべからず」の語源は,能の世界における世阿弥の言葉として有名で周知されている。溶接を含む技術は能などの伝統工芸に結びつけることができると考えられる。すなわち,溶接道とも解釈ができ,永遠で終わりがない技術の世界ということが言えると考える。特に,年を重ねた節目に当たると,「時々の初心忘るべからず」の大事さが身にしみてくるようである。冒頭での汽車製造㈱での実習の機会を頂いたのは,当社の内田信邦氏のおかげである。内田氏は,超多忙な業務の間に,鉄道用車両の抵抗スポット溶接技術の現状と将来の開発について,熱くご教導を頂くことができた。そのことは,アルミニウム合金の抵抗スポットの研究の土台に役立つことができた。さらに,なぜ汽車製造㈱で実習が出来たかを,その時期の初心を思い出すと,当時,日本大学生産工学部長に就任されていた大塚誠之先生(元日本国有鉄道鉄道技術研究所所長)のご恩に行き当たることができた。大塚先生からは,鉄道用のボイラの溶接を始め,レールの溶接などについてお教えを頂いたことが鮮明に思い出される。このことは,金属材料のクリープ現象や高炭素鋼の溶接性について,強い興味を起こした先駆けになったと考えている。これらのことは,自分でも不思議な出会いであったと,各位に感謝する次第であります。この溶接の泉の執筆には,ボイラ・クレーン安全協会の小川様からのご教導を頂き,関係各位に厚く感謝いたします。

図7 江東区大島の先達